思い切り手を引いた。
「きゃっ」と小さな声が聞こえたけれど、無視した。
それよりも、初めて触れた手が意外と冷たくて驚いた。
2月の季節に屋上の風は冷たすぎて、「間違えた」と思ったけれど、
今更あとには退けるわけなかった。
藤井の手をひいてここまで来た。
来る途中、一度も顔は見ずに。
どんな顔してるのかなんて、考えたくも無い。
無理矢理ここまで連れてきた。
怒っているのかもしれない、こいつのことだから、困ってるのかもしれない。
でもそれ以上に、俺の心の中がムカムカしているから、謝る気なんてさらさら無い。
「はあっ、はあっ、はあ、」
俺にとっても早足できたんだから、藤井にとっては走るに等しかったのだろうと思う。
疲労で、肩で息をする声にさえ欲情してしまう自分に、さらに苛ついた。
走ればゴール下に辿り着いた、手を伸ばせばボールに触れた、それなのに
これだけは手に入れられない。
「…はあ、どうしたの…?流川くん…?」
怒りも戸惑いも見えない声、自分だけイライラしていることに、腹が立つ。
どうしたのじゃねーよ!
息がつまって、声が出ない。胸が、痛い。これは、病気、か?
試合後よりも激しい動悸が俺を襲う。
「どうも、してねー」
どうも、してねー。ただお前が、他の男と楽しそうに喋ってただけ、ただそれだけ。
どうも、してねー。
「……そう」
こいつは、怒らない。だから、余計に腹が立つっていうんだ。
せめて、怒れば、声を荒げて「なにすんのよっ」って言えば
俺の手の中で暴れてくれれば、ここにいる、って少しでも判る。
でも、本当はぴくりとも動かないから。手の中にいる気がしないんだ。
いつか知らない間に、するりといなくなってしまうんじゃないかと、
不安でしょうがない。
チョコレート貰ったからっていい気になって、
「流川くんのは特別だから」って言葉にぬか喜びして、
手に入れた気になって。
「美味しかった…?その、チョコ…。初めて作ったから、味が心配で仕方なかったの…」
どろどろした俺の心の中に、ひとつ、すんなり入ってくる声が心地良い。
「…食べてねえ」
「え…?」
どんな顔して、聞き返してきたんだろうか。まだ顔は見れない。
がっかりしてるんだろうか。それは嬉しい反面、こいつを悲しませて嫌な気もする。
でも、しょーがねーだろ。食べてないのは事実なんだから。
まだ鞄の中で眠ってる。部屋で保管しようとも思ったけど、万が一家族に見られたりしたら面倒。
「別に甘いもんが食べたかったわけじゃねーし」
「あ、そ、そっか!そうだよね。そんなに、甘いもの好きじゃないよね」
語尾が小さくなってくのが判る。声に震えが入る。小さくて、触れてる気がしない、声。
「ただ」
触らせてくれ。声も、手も
「お前のが欲しかっただけ」
その心も。
「お前が欲しかっただけ」
心の一番上にいたくて。誰にだって、俺の一番好きな顔見せたくなくて。
「別に、チョコが食いたかったわけじゃねーよ」
ゆっくりと、今日初めて藤井の顔を見る。
予想通り、ちょっと涙目で、赤い顔をしていて。この顔だって誰にも見せたくないと思った。
「どあほう」
泣くな、って、顔に触れて、涙拭ってやろうと思ったけど、
やっぱ体が動かなくて、胸が痛くて、あー病院いかねえとな、と思った。
「あほじゃ、ないもん」
チョコを腐らせてしまうのは勿体無い気がするので、まあ、早めに食べることにする。
美味しいかどうかは、自分で判断しろよ。って言いながら、
キスする口実も出来たことだし。