早朝3時、新聞屋の2階で僕は目覚める。
まだ街は暗い。けれどそれが僕たちの朝。
朝は空気が白く染まる。街灯の明かりだけが僕たちを導いて、静かに頷く。
原付バイクの鳴らす音は、いつだってしんとした住宅街に響くけれど、いつだって住人達の目覚ましにはならない。
眠るものは眠り続けるし、起きているものは、起き続ける。
彼女、は後者の人間だった。

極小さめ、且つ古いアパートやマンションは、各部屋の扉ごとに郵便受けがついているから面倒くさい。
少なめでも、ちゃんと存在する階段を上って、ひとつひとつ郵便受けに投函していく。
住人達を起こさないように、気を配って歩きながら。
でも、彼女はそんな気遣いなど知らずに、いつだって起きている。
体の中の体温を逃がさないように、体を縮めて、蹲(うずくま)って、部屋の前で。
僕は彼女に何も言わずに、新聞を差し出す。
新聞配達やに朝の挨拶をする義務なんて無い。
彼女は一度それを受け取って、ぼくに返す。
「燃えるゴミよ」
小さく蹲った体形とは裏腹に、顔は挑戦的に笑っている。
まだ街は暗い。けれどそれが僕たちの朝。

「…いい加減にしてください。新聞、いらないなら取らなきゃ良いじゃないですか」
「購入した新聞をどうしようとあたしの勝手でしょ。捨ててきて、ってお願いしてるだけよ」
このアパートが築何年であるか、残念ながら僕にそんな目利きの力はないけれど、相当古いことだけは判る。そして小さい。
総戸数は6戸。一階は昔何かに使われていたようだが、今は機能していない。
6戸全てが2階に位置しており、部屋同士の距離がとても短い。
一部屋6畳あるのかも疑わしいような距離だ。きっと貧乏学生やフリーターなどの住処なのだろう。
「…そもそも、新聞は燃えるゴミじゃなくて資源ゴミなんですけど」
「燃えるゴミよ」
きっと彼女も、学生かアルバイターの線が濃厚で。
「…」
「燃えるゴミだわ」
でも、意外なのは、彼女の左手に婚約指輪が光っていたことだ。

“あっちの方”がおかしい彼女のせいで、僕はいつも新聞を一つ持ち帰ることになる。
元々、僕は新聞なんか読まない人間なんだ。
新聞配達も長期休みを利用してやっているアルバイトであるのだから。
でも、彼女と出会ってからは毎朝読むことになった。
テレビ欄と4コマ漫画以外に目を通したのは、彼女に出会ったおかげだ。
一面記事にざっと目を通して、2面へ移る。
(ぼくはここに掲載されてる読者からの川柳コーナーが地味に好きだったりする。)
今のところ僕に関係は無い経済欄はとばして、スポーツ、地方、最後にテレビ欄へ帰る。
僕は、ふと彼女を思う。
あんな古いアパートに住んでいるということは、お金が無いはずなのに、新聞はきちんと購入している。
でも、彼女はそれに目を通さない、それどころか「燃えるゴミ」と言い放つ。
どうして毎朝僕を待っているのだろうか。寒空の朝に。
そして、薬指を飾る指輪。
僕にはどうしてもそれが窮屈に見えて仕方ないのだ。
『今日の一位は魚座――――』
テレビから僕のものとは違う星座がコールされて、僕はゆっくりとインスタントコーヒーを口にした。
ようやく、街に朝がやってきた。
『今日も元気にいってらっしゃい』

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