女の名前は、竹内緑という。
日本の何処か田舎からやってきて、今、このアパートに住んでいる。
どうやら小さい会社に勤め始めて2年らしい。
このアパートにやってきたのは、もう6年も前で、2年前は学生だったのだろうと思われる。
緑の朝は早い。朝8時には部屋を出ないといけないらしい。
そのため彼女は、毎朝目覚まし時計をかけて眠る。
だからといって毎朝それで起きられるわけではない。
自分で目覚まし時計をとめて二度寝することもあれば、目覚ましがなる前に起きることもある。
一度、早起きの大家に起こされたこともあった。
朝のたった一時間をとっても、顔を洗い、歯を磨き、朝食を食べ、勤務服に着替える、
同じ行動を繰り返すはずの朝の一時間でも、やはり日々何かが違って、同じようにはいかない。
それが日常で、人間として変えられはしない現実なのだ。
けれど、緑には毎朝同じ習慣があった。
服装や肌の調子は違えども、だ。
同じ場所で、同じ体形。そして、同じ人間と話をする。
2週間ほど、前から。
男の名前を私は知らない。
男は緑の元に毎朝、新聞を届ける仕事をしているものだ。
朝といってもそれはまだ暗く、肌寒い。
緑は何故だか、その男の到着をいつだって部屋の外で蹲って待っていた。
そしていつも、新聞を受け取っては返すのだ。
「燃えるゴミよ」
これが緑の決め台詞である。
「……資源ゴミです」
緑の体の中には、唯一不確かなものがあった。
「はーいはい。でも、燃えるゴミだから」
「……」
それは左手薬指。眩しいくらい光る、プラチナのリング。
「綺麗ですね、それ」
男は唐突にそう尋ねた。この時の男の表情を表す言葉を調べる術を、残念ながら私は持たない。
「イイデショ」
緑は左手を空に掲げて見せた。が、この朝はまだ暗い。リングが反射した光は、せいぜいアパートに設置された蛍光灯のみだった。
「贈り物ですか?」
「そ。神様からの、ね」
“カミサマ”とえらく大層な名を緑は出して、柔く微笑んだ。2人がこんな話をするのは初めてだ。
「マイダーリンイズゴッド」
蹲った体形から緑は男を見上げて言う。挑戦的に笑った。
男の名前を私は知らないが、男が緑のこの顔を好きなことはすぐに判った。
新聞配達屋という
職業の男がやってくるのは3時。
緑は朝8時にはこの部屋を出なければいけない。
夜も明けないうちから男を待つ緑は、新聞をつき返したあと、再び軽い眠りにつくのだ。
目覚ましがけたたましく鳴るまで。
歯を磨き、顔を洗い、朝食を食べ、勤務服に着替える。
いつもと同じ、けれどけして同じではない。
食べ終わった朝食のプレートを洗い終えて、コートに手をかける頃、テレビからはおなじみの声が聴こえる。
『今日の一位は蠍座―――』
今日は昨日と同じ訳にはいかない。
『今日も元気にいってらっしゃい』
プツン、とテレビの電源が切れる音がした。