桜の花びらがはらはらと舞う。
それを追いかけて、まるで口付けるように、季節外れの雪が空からは舞い降りてきた。
「どうりで今日は寒いわけですね」
春物のカーディガンの袖をすこしひっぱって、手のひらを隠す。
少し薄着しすぎたことを後悔したが、お気に入りの服なので、そうも言ってられない。
「…だが、この季節に大降りもしないだろう。問題ない」
せっかくのお洒落に彼は目もくれずに、す、っと前を向く。
それもそのはずで、別にこれはデートでもなんでもなく、
春休み中の個人練習に奮闘する選手と、それに付き合うマネージャーというだけの話である。
(おしゃれしても、意味は無い、って判ってるけど)
若菜は小さく、進にはけして聞こえないようにため息をついた。
たとえ練習と判っていても、学外で二人で会えるというのだ。
年頃の女の子として期待しない方がおかしい。
…ただ、彼が年頃の男の子にしては、少しおかしかっただけの話だ。
「若菜、お前は無理をするな。体が出来ているわけではない。無理を感じたらすぐに室内に入れ」
堅苦しい言葉を進はかける。彼の言葉はいつも、温度がよみにくいから、若菜は困る。
それは単なる注意なのか、それとも心配なのか。
浮ついてしまいたい自分と、勘違いしたくない自分とがいつだって心の中で競争する。
「大丈夫です。伊達にマネージャーやってるわけじゃありませんから!」
自信満々、という笑顔で若菜は進に返す。
確かに小柄ではあるけれど、寒い日も暑い日も、この1年間同じ苦労を感じてきたわけなのだから。
この1年間、彼を見てきたわけなのだから。
「…そうか。なら、ついて来い」
寒い日も、暑い日も、誰よりも傍にいたはずだから。その、貴方の周りの空気ごと。
勘違いしたくはないけれど、浮つきたくはなってもしょうがない。
休み中の個人練習に付き合っているわけなのだから。
誰に言われたでもなく、彼本人に頼まれて。
4月1日の今日が、若菜にとっては、存在丸々がエイプリルフールの嘘だと言われても信じてしまうかもしれないくらいの出来事なのだ。
たとえそれがロマンチックなお花見デートなんかじゃなくても、
彼とその周りの空気と苦労と傍にいられれば、若菜が浮つくのには十分すぎた。
(どうして私なんだろう…。私じゃなくてもお手伝いは出来るだろうし、選手同士のほうが効率が良い筈なのに。どうして)
考えれば考えるほど、自分にとって有利な答えしか出てこない。
決定的な答えが出そうになる度、勘違いしたくないほうの若菜が出てきては、答えが飛び出すのを抑えてる。
(だって、そんな特別な気持ちじゃないのに、わざわざ私を呼ぶかな…?)
「・・・・・な」
(なに言ってるの!私はマネージャー!休み中だろうと選手のサポートするのは当然でしょ?)
「・・・かな」
(たかがマネージャーだよ?しかも進さんだよ?そんなの…)
「若菜」
「はいっ!!」
なんだか久しぶりに見た気がする進の顔は、寒さのためか少し赤くなっていた。
「・・・・・・、と。今日は、誕生日、だな」
てっきり、補佐についての指示をされるのだと思っていたので、拍子抜けして、若菜は黙っていた。
若菜が黙っていると、二人の間に声は無く、桜と雪が仲良く落ちる声が聞こえてきそうなくらい静かになった。
どうやら進の言葉に続きは無いようだったので、
「えと…。誰の、ですか?」
「・・・・・・・・・お前の」
切り出してはみたのだが。
「・・・・・・・・。私の誕生日は、先月ですが・・・・・」
「・・・・・と、いうのは嘘だ」
ますます自分の目が点になるのを感じたが、点の目でも若菜の瞳は進を見つけていて、
さっきより赤くなっていることに気付いた。
「…エイプリルフール、ですもんね」
「…ああ」
なんとなく、どうして自分が今日呼ばれたのか判ったような気がして、
勘違いしたくない方の若菜ごと彼女は優しく微笑んだ。
「ありがとう、ございます」
「…?」
「エイプリルフールですから」
二人の周りには相変わらず桜と雪が仲良く同居する、嘘のような景色で。
桜と雪が口付ける音を、それ以降はしっかり聞きながら練習に励んでいた。
桜色の砂糖菓子が、雪のように白いクリームの上にのっていたりする、汗臭い男には専ら似合いそうに無い代物を、
進が持ち出すのはほんの少し後の出来事。